小池都政を巡るジャーナリズムの問題及び政治問題についての判断の問題(17/6/5)

    昨夜、有本香さんと小池都政の支持者の間でちょっとしたやり取りがあり私も少し絡んだのだが、まあ難しい問題だ。Ayさんという方だったが、この方の言い分も分からないではない。まあ、難しいのだな。まず、完全な客観性というものは不可能だろう。難しいと思う取材という物は。やったことがないけど想像はできる。取材対象者とある程度の(親密な)関係でないと深い話までは聞けないだろうし、取材相手をボロクソに貶す記事でも書こうものなら、おそらく二度と取材に応じてはくれない。これは非常に難しい問題だ。取材する者には何の権限もないのだから。これが朝日新聞等の大メディアであれば、取材拒否したらボロクソに書いてやるなどと強くも出れるかもしれないが、普通は難しいだろう。ある限度内の基準を満たす記事であれば、誰にも公平にといった不可能な基準は満たせなくともやむなしだろう。これは最終的には読者のリテラシーの問題ではないかな?ウェーバー的に言えば、価値自由Wertfreiheitの問題だ。ウェーバーは特に、教師ー学生間の例で語っているが、教師は可能な限り自分の価値観を示し、価値の先にある事実とを明確に区別し語るべしという要請をしたのである。ジャーナリズムのあり方的な話はここまでとして、小池都政について少し考えると、確かに、内田某氏や舛添前知事や都政のあり方、これらは諸手を挙げて賛成とはいかないところが私にもあるし、そういう人は少なからずいるだろう。さらに言えば、自民党による政治自体に諸手を挙げて賛成というわけでもない。しかし内輪もめしてあいつら(民進他)に漁夫の利を得させることだけは避けたい、という悩ましい困難な状況なのである。そもそも自民党などは良くも悪うも大衆政党であり、理想そのもののはずがなく、それを理想と違うからダメとは子供の態度である。しかしやはり批判も必要。ここで二つの考え方がある。一つは、糞野党を利するわけにはいかないので糞野党が死滅wするまでは保守は団結すべき、というもの。もう一つは、糞野党を潰す最も有効な方法は野党のお株を奪うこと、つまり、まともな建設的な批判を保守の側から提示するべきだというもの。現実に、十分かどうかはともかく維新などがこの線で努力しているとも言える。実に悩ましい状況なのである。私は個人的には今は保守大同団結主義だ。パヨク勢があまりにも醜悪すぎるから。単細胞なパヨクが羨ましいwww単細胞に理想的な事ばっか言って善人気取りでたまにはオナニー批判したいもんだねw保守は辛いよ(T_T)

 

(17/6/5)