哲学と人生

哲学のよい面は、人生を手段にできることである。

 

通常の人間の行為は、人生内で消費される。

 

しかしながら、哲学は人生を消費(浪費)するのである。

 

そういう意味では、哲学は本性上、反体制、反現状である。もちろん知恵遅れのバカ左翼どものおこちゃまレベルの反体制などとはまったく違う意味、レベルにおいてである。

 

人生を手段とするとは、それが本当にそうかはともかく、想像しやすい例としては、何らかの理論のために時間(人生)を費やしているものとか、なんらかの数学の定理等の証明を朝から晩まだ考えた挙句に人生を終わるとか、ややステレオタイプなイメージでもあるが、そういう主としてコテコテの学者系のライフスタイルを挙げうるだろう。他には、ちょうど226青年将校らのように、他の目的のために現状の生活を捨てるタイプもあるかもしれない。とにかく、今の人生全てを投げ捨てても何かを得ようとしているのである。

 

しかし、政治的な反現状は現状との連続性が強い。やはり現状主義者の一変態と考えられるべきかもしれない。

 

この辺は微妙だが、ここでは、まずもって、第一の学者系のライフスタイルに注目したい。といったもその辺のなんちゃって無能ハゲはどうでもいい。

 

そうだな、ゲーデルあたりがぴったりの例かもしれない。引きこもって、電話も切って、外部との連絡を完全に絶って、ろくに掃除すらせず仕事に没頭した。それもその辺のハゲアカどもと違って、出世などには関心がなく、ただ真理だけを求め、人生は真理に捧げられ、真理のための手段にすぎなかったのである。

 

現代でも、ポワンカレ予想を解いたロシアのペレルマンなども、そういった「真理のための人生」系の学者といえるだろう。

 

こういった類の人間にとっては人生は手段であり、目的のためのカウントダウンにすぎないのである。

右翼の形

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右翼の形が歪じゃないか。

 

パヨクという引き立て役があるから辛うじてカッコがついているが、

 

どーもこーも戦前のノリ、制御不能の私利私欲の暴走がその実態ではないのか、と思われてならない。

 

右翼道というものは本当に困難である。

 

あまり評判はよくないようだが(みんな見る目がないから)、私の中では、これこそ邦画の最高傑作だ。

 

三浦友和の安藤輝三がいい。音楽がいい。これで十分じゃないか。

 

 

 

 

パヨクのなんちゃって反体制派ぶり(17/6/7)

    日本の今の左翼は、なんちゃって反体制で体を張り命をかける気もないヘタレだ。歴史における権力に対し命懸けで戦った左翼は私は一定の評価をする。しかし日本の今日のパヨクというものは体を張る気もかすり傷一つも負う気がない。かといって頭を使うというわけでもなく、ぷよぷよぱよぱよスポンジ脳。腹の底では下層を見下し、セレブ勝ち組志向の塊で、周囲の流行に取り残されるだけでビクビクしているような銭ブタアクティビストだ。だから嫌い(^O^)しかし、かつての左翼のように、昔は反戦平和という軸があり、もちろんかなり弱まったは言え、何というか集合力がない。このスローガンの元に、反戦団体やら連合やら大メディアやら学者やら、そして何より現実に戦争の悲惨を経験した世代も結集させることができた。悲惨な経験をした方々の純粋な心情を利用して左翼腹黒パワーに転換し利用するわけだ。まあ、こんな感じで結集されたイカズチのような力として政権を揺さぶることができたのであるが、今やってることはプチネタで波状攻撃して嫌がらするのが精一杯wそれらのプチネタも大抵はネット他でカウンターを食らいさらに弱められる。これまでは取り込むことができた市民も、かつての反戦平和のように分かりやすいスローガンを目指せばいいとわけにはいかなくなった。森友、共謀罪、レイプ等々、うさん臭くショボいテーマの前に迷い分断され、かつてのように一つの強力な塊とはなりにくい、いや不可能なのである。ざまあみろであるwしかも笑えることに連中にはその構造的変化が見えていない。共謀罪で攻めて次にパレルモで攻める。更に次は・・・と持っていく。この時点で分散しまくって、国民は誰もついてこない。そんなもんだ国民は。印象操作のために些末な方へ進めるほど、誰もついてこなくなるwもっとも真面目にフォローするのは保守系だろう。もちろん反論するという意図でもって。もっとも訴えたい相手、一般人にはどんどん届かなくなるだけ。もちろん届かない方がいい無意味な情報だがwそういった、いい意味での商売感覚がないんだな。戦術も戦略もなし、頭悪いから仕方がないが。自分の身の程を、野党もネットのパヨクも全く理解していない。何か悪評が世にとどろく信用度ゼロのウンコ企業の分際で、消費者が手間暇かけてその企業の商品などを隈なく見て調べてくれるとでも思っているのか?そんなことはしないよ消費者は。もちろんいい製品を造るということは大前提として、それに加えて、その魅力をアピールするように広告等も工夫を凝らさないとならない。それで初めて購買リストに上がるのである。個人だってそうだ。信用度ゼロのオオカミ少年状態の者のいう話など、話の吟味以前に聞こうとすらしないだろう。皆忙しいのだから。世の中そんなに甘くない。 で、だれが、パレルモ条約の何条がどうこうなんて話に付き合うもの好きがいるってんだよw流石は自己愛オンリーのオナニストw自分目線でしか考えられないのだろう。自分の話、言い分は一般人が耳を傾け、調べ勉強するのが当然とでも考えているのだろうかw話を聞かないものは馬鹿で下層のネトウヨくらいに思っているのだろうか?遥かに賢いのは一般人の方だろうにwww要するに一般人は高度なメタ的な判断をしているだけなのだ。私も含めて。この情報化社会、いろんな間接的な証明を駆使しないとやってられないのである。あまり褒められたものではないが、あの人は信用できるとかあいつは信用できないとかやらないとやってられないわけだ。話を聞いてもらえるまでが一苦労なんだな。そして一度失った信用を取り戻すのも大変だ。不可能かもしれない。そういう現状分析をする能力さえなさそうであり、金髪小デブアクティビストのように敗因分析すら自己満足以上のことはできず、一から信用を取り戻すようなひた向きさも見られず、やってることは相変わらずの、馬鹿の癖に他人を見下す上から目線の印象操作言説の垂れ流しである。これじゃダメだろう。

 

 

小池都政を巡るジャーナリズムの問題及び政治問題についての判断の問題(17/6/5)

    昨夜、有本香さんと小池都政の支持者の間でちょっとしたやり取りがあり私も少し絡んだのだが、まあ難しい問題だ。Ayさんという方だったが、この方の言い分も分からないではない。まあ、難しいのだな。まず、完全な客観性というものは不可能だろう。難しいと思う取材という物は。やったことがないけど想像はできる。取材対象者とある程度の(親密な)関係でないと深い話までは聞けないだろうし、取材相手をボロクソに貶す記事でも書こうものなら、おそらく二度と取材に応じてはくれない。これは非常に難しい問題だ。取材する者には何の権限もないのだから。これが朝日新聞等の大メディアであれば、取材拒否したらボロクソに書いてやるなどと強くも出れるかもしれないが、普通は難しいだろう。ある限度内の基準を満たす記事であれば、誰にも公平にといった不可能な基準は満たせなくともやむなしだろう。これは最終的には読者のリテラシーの問題ではないかな?ウェーバー的に言えば、価値自由Wertfreiheitの問題だ。ウェーバーは特に、教師ー学生間の例で語っているが、教師は可能な限り自分の価値観を示し、価値の先にある事実とを明確に区別し語るべしという要請をしたのである。ジャーナリズムのあり方的な話はここまでとして、小池都政について少し考えると、確かに、内田某氏や舛添前知事や都政のあり方、これらは諸手を挙げて賛成とはいかないところが私にもあるし、そういう人は少なからずいるだろう。さらに言えば、自民党による政治自体に諸手を挙げて賛成というわけでもない。しかし内輪もめしてあいつら(民進他)に漁夫の利を得させることだけは避けたい、という悩ましい困難な状況なのである。そもそも自民党などは良くも悪うも大衆政党であり、理想そのもののはずがなく、それを理想と違うからダメとは子供の態度である。しかしやはり批判も必要。ここで二つの考え方がある。一つは、糞野党を利するわけにはいかないので糞野党が死滅wするまでは保守は団結すべき、というもの。もう一つは、糞野党を潰す最も有効な方法は野党のお株を奪うこと、つまり、まともな建設的な批判を保守の側から提示するべきだというもの。現実に、十分かどうかはともかく維新などがこの線で努力しているとも言える。実に悩ましい状況なのである。私は個人的には今は保守大同団結主義だ。パヨク勢があまりにも醜悪すぎるから。単細胞なパヨクが羨ましいwww単細胞に理想的な事ばっか言って善人気取りでたまにはオナニー批判したいもんだねw保守は辛いよ(T_T)

 

(17/6/5)

パヨクとジェンダーの問題(17/6/5)

   (ツイッター上で)アホっぽいパヨクと少しやり合って、典型的(ネトウヨ)で面白いのでフォローしてもいいですかと言ってきたパヨクがいたから、まあパヨク向けに語ってやろう。なんとなく女っぽく、若いパヨカモ女かもしれないな。駄漫画本とかワイドショーとか表層的な報道なんかで餌食にされやすいのは女性が多いのだな。しかしネットを始め様々な媒体が発達してきて、そういう表層的印象操作は大分やりにくくもなったし、今日に至っては、保守的な考えも表層的にも把握することが可能になってきた。女性をバカにしたいわけではもちろんないが、やはりね、有能無能以前に、ジェンダー的にそうなっちゃうんだな。あ~可哀想!とか、きゃ~!とかね。もう思考判断以前にジェンダー的にそう反応せざるを得ない部分がある。男だったらどんなに怖くても、キャ~~!とは言えないのだな。要は政治信条もスカートとかリボンとかパンティとかそういうようにジェンダー的に決まる。そういうところがある。だから社会問題、社会事象についてもそういったジェンダー的、脊髄反射的に反応し考え判断してしまう。最初の反応やとっかかりの部分はそれでもいいかもしれないが、女性は特に、そのままのノリで専門的、学問的なレベルまで行ってしまいかねないのだな。浅いセンチメンタリズムでそのまま学者や言論人になりかねない、いや普通になってしまうのだ。そういったジェンダー的性格的制約以外でも、ジェンダー的環境も大きい。なかなか政治系、軍事系等の世界を学ぶ機会が少ないのだな。少女漫画なんかを読むわけだ。男みたいに多様な世界がほとんどないわけだ。漫画でもゴルゴ13のようなそのまま国際社会、国際政治(のえげつなさ)などを学べるツールからも遠ざけられるのだな。つい最近も、他所で私なんかよりも右寄りの女性の方とのやり取りで、軍事音痴を自称される方がいて、あんな人殺しの兵器とかに関心ある人ってちょっと危ない人に思えると宣った方がいらした。そこで私も考えたが、これは男と女という違いも大きいと感じたね。これは簡単に馬鹿にすべき話でもない。主に戦場で死ぬのは男で、男は自分も場合においては戦場に身を置くこともあるかもしれないという考えが根底にあるんだな。これが逆に女が戦場に行きバタバタ若い女性が死ぬとしたら、確かにそんなことに関心があるのはちょっと危ない人と思っても仕方がないかなとは思う。まあとにかく、女性ゆえの物事の見えにくさは軍事に限らずあるとは思う。女性は基本的にセンチメンタリズムが社会事象を考える際の原動力となる。だから表層的なパヨク言説のカモになりやすいのだ。もっとも直感的な感性レベルにおいても保守が正しく見えるほどに特に最近のパヨクは劣化が著しい。しかし一昔前はホント表層的センチメンタリズムやヒューマニズムが武器であった。それと最近は「下層のネトウヨ」などという自分の首を絞めるような言説も多用するようになった。いよいよ追い詰められて見境なくなったのだろう。まあ、これは劣化したというより、いよいよ本性を現したということなのだろう。しかし、仮にも左翼が下層を見下しちゃいかんだろう。完全に壊れ始めている。この期に及んで、まだパヨクデビューする馬鹿がいるとは信じられんね。

 

(17/6/5)

 

パヨクの生態と戦略、それへの対抗戦略(17/6/4)

    これまでの話をちょっと纏めると、パヨクはボス幹部クラスは実は確信犯的にやってるやつが多いということ、私はそう見ている。だから説得の対象じゃないんだな。パヨクが馬鹿だって当人らが分かってるんだから。商売に過ぎない。あるいは、日弁連とか、もうポジショントークしかできない身分なんだよね。よくテレビなんかに出る凄い肩書系は職業身分的にもう決め打ちしかない。商売系も金目当てのポジション・トーク。もちろん右にもいるし、どんな言論においてもありえることだが、パヨクはそれが半端ない。で、パヨクのザコは主目的、動機は主にオナニーであろう。これもまた説得は限りなく不可能。少なくとも理屈では難しい。だから説得するには、もっと大きな視点から、心理分析でもしてあげて、自分が恥ずかしいオナニー行為をしていることを悟らせることの方が効果的だろう。理屈+このオナニー暴露の二方向から攻めるしかないと思われる。右の人は割とピュアで真面目に論破しようとする。私も長年掲示板等でこれをやってきたが、全く効かないw「話せばわかる」なんて大嘘だとわかったね。話の通じない奴はウジャウジャいる。残念ながらこれが現実だ。保守系も、真っ向勝負よりも、もっと戦略的になる必要があるかもしれない。戦略的とは、要するにパヨクの手法を真似るということである。この部分はいまだにパヨクが一枚も二枚も上手だ。やはりパヨク的にデモもやったり、マスコミに抗議の電話等々で圧力を掛けたりすることも大事だ。もちろん合法的な範囲内で。私はあまりやりたくないけど(特にデモなんかは)w誰かやってw

 連中がそういった手法に長けているのは、一つにはやはり怪しい国外勢力等がバックにいるということもあるだろう。保守の方がよほど市民の草の根運動的という冗談的状況だ。それに加えて、先に言ったように目的が議論ではなく、金かオナニー目的であるから、考えるより勝つことが第一義になるからだろう。どうしてこんな当たり前のことに気付けないのか?恥ずかしながら私も割と最近なのだそういう風にパヨクの皆さんを見始めたのは。頭悪い人なんだなあとは昔から思っていた。優しい、というか直感的な優しさがある人なのかなあとも思っていた(特に女性)。なぜ、右の人は連中の正体、本性に気付きにくいのか?これは簡単である。自分がそうではないからだ。一般人なら金目当てでもないし、相手も是々非々で論を積み上げた結果として今の政治信条に到達したのだろうと考えるわけだな。普通そう思うものだ。まさかオナニー目的とは思わないw

(17/6/4)

《アスペクト》の虜となるパヨク脳とそのイジメ体質 (17/6/3)

 社会の事象というものは極めて多様である。だから人間はまずは事象を大まかに「掴む」わけだ。ゲシュタルト的にアスペクト(様相)を把握するのだ。しかもこれはルビンの壺のようなもので、同じものを見ても、全く異なる印象をもって見たり、サヨウヨのように真逆に見えたりさえするわけである。社会までいかずとも、個人の印象だってそうである。第一印象が悪かったりすると、かなり引きずってしまったりもする。ある事件がきっかけとなって、印象がコロッと変わってしまったりもするわけだ。人間はゲシュタルト的にアスペクトで事象を把握する。イジメなどもそれが大きいと思う。もちろんイジメ現象も多種多様でいろんなケースがあろうが。おそらく何らかの目立つ欠点や失敗があったのだろう。それを機にして、全否定のアスペクトが現前するわけだ。何をやってもムカついてきたりするわけだ。それにプラスしてエンターテイメント機能も生じる。で、何が言いたいのかというと、もちろんパヨクがそれだと言いたいのであるがw、しかしこれは右も含めて一般的に言える人間のさがである。パヨクは深刻極まるが、パヨク以外の者もときに自省してみる必要がある。明らかにパヨクはこの状態に入り込んでしまっている。パヨパヨ病であるwwwイジメにおける個人の欠点と言ったが、個人ですら粗探しすればいくらでも悪口は言えるのである。いわんや社会や政治となると言いたい放題であり、ネタは尽きることがないだろう。ここで必要なことは事態を客観的に見つめ秤量し判断するという姿勢である。しかしこれがまた突き詰めると難しい。私も長年考えてきたことだ。先に挙げたウェーバーもそうだが、他にも例えばマンハイムに始まる知識社会学等を参照しながら考えてきた。イデオロギーとかの問題だ。 しかしまあ、この低レベルのパヨク言説は馬鹿馬鹿しすぎ醜悪すぎて庶民感覚でも批判、否定できる類のものだ。パヨクに多いのは俗に言う、自分に優しく他人(権力)に厳しいといったものではないか?しかもこれは客観的な見方であり、当人的には自分に厳しく他人にも厳しい、くらいに考えているかもしれないし、あるいは市民(というか活動家)は自分に優しくともよく、権力には厳しくしてもよいなどと考えているかもしれない。そして結局は、市民の基準では自分は自分に厳しく、権力の基準ではさほど厳しくもなくむしろ甘々なくらいだ、くらいのダブルスタンダードを用いて、自分に厳しく他人にも厳しいぐらいに自己認識をしているのかもしれないが、傍から見たら、それは、自分に優しく他人に厳しい人と見做される態度だろう。このように一番たちが悪いのは、本人的には自分には厳しいと思っているが実は甘々で他人には当人的には優しいと思っていながら実は厳しいというタイプであろう。これがパヨクに多いのだ。聖人君子クラスであり、普通の人間には非常に困難である。一般人はここまでなれなくとも仕方がないだろう。しかし、せめて、自分は自分に甘く優しいと認識することぐらいはできるし、それだけで大分救われるのである。そしてこれが全く欠如している正義の味方ごっこに興じているのがパヨクと呼ばれる人たちなのである。口では謙虚に、いえいえ私ごときは・・・などと言うかもしれないが、自分は世界一愛に溢れた人間だなどと思っていたりするw自分に甘くともその甘さを客観視できれば、他人にも優しくというか、あまり厳しい要求ができなくなるし、欠点も許容しやすいのである。だから一番たちの悪いのは自分を無謬の存在だと勘違いしているパヨパヨな人間だ。自分は棚に上げ自分の欠点は棒大針小で、他人の欠点は針小棒大であら探しばかりして印象操作まで駆使して攻撃する人間。最悪である。

 

(17/6/3)